京都再エネコンシェルジュインタビュー
株式会社長谷川(京都市右京区)の京都再エネコンシェルジュ・植松裕貴さんにお話をお伺いしました。
始まりは講演会
創業は1961年。設立から半世紀を超える株式会社長谷川は、創業当時、長谷川タイル工業株式会社として、タイル工事を中心に事業を展開されてきました。優れた施工品質を売りとするそのタイル事業では、技能五輪全国大会において、「タイル張り職種」で金賞を受賞(令和元年)するほどの職人を抱えておられます。
そんな株式会社長谷川が太陽光発電事業に踏み出したきっかけは、11年ほど前に先代の社長がある講演会で「これから太陽光発電の時代が来る」と聞いたこと。この時を契機に、太陽光発電について調べ始め、1975年から太陽光の研究を始めていた老舗であり、京都の企業でもある京セラと出会い、事業が動き出します。
そして、2009年には社名を株式会社長谷川に変更して太陽光発電システムの販売をスタートさせ、翌2010年には、フランチャイズ店として「京セラソーラーFC京都西」を開業させました。それからは、住宅用太陽光発電システムの販売を中心にしながらも、京都府や京都市の太陽光発電屋根貸し制度を利用したり、自社で土地を購入し太陽光発電所を建設したりと、着実に再生可能エネルギーを普及させてきました。
ブレずに継続
開業1年目に入社した植松さんは、その時から今までを振り返り、「当時は成長時ではあったけれども、しんどかったです。それからFITが始まって売り上げが伸びてきて、FITが終わって下がって。今まで山あり谷ありでした。それでもブレずに住宅用の太陽光発電システムを販売し続けてきたのは、今となってはとても強みになっています。」と浮き沈みの中でも継続してきた強みを強調されていました。
「継続してきたおかげで、今まで販売させていただいたお客様が累積ではとても多くいらっしゃいます。その方々が、年を重ね、今はFITが終わって、蓄電池を検討していただける場合が多くあります。お陰様で、お客様が当社の太陽光発電システムに満足していただいているからだと思います。」
「もう一つの強みは京セラ一筋でしょうか。」と語る植松さん。今までに販売してきた太陽光発電システムの99.9%は京セラ製とのこと。実は京セラとの出会いが、京セラフィロソフィ、アメーバ経営などを取り入れることにも繋がり、本業のタイル工事業経営を飛躍的に改善させる経営ノウハウになったのだとか。ここにもブレずに継続しておられる強みを感じました。
ここ最近意識の変化を感じています
植松さん自身が太陽光発電にかかわり始めたのは15年前。電気工事の仕事をしていた当時、子どもが4~5歳ぐらいだった時に、太陽光発電システム販売の会社に誘われたのがきっかけ。小さな子どもたちの為にも、再生可能エネルギーで温暖化対策をして環境に貢献したいと始められたそうです。
当時は訪問販売で、300件ほど訪問し、15件が話を聞いてくれて、うち5件が検討してくれ、1件の契約が取れればよいぐらいの過酷な営業だったとか。その後に今の会社へ転職して太陽光発電システム販売を続けてきて合計で早15年。続けてきたからこそ、最近の急激な変化を肌で感じているそうです。
「菅首相や小泉環境大臣が再生可能エネルギーを進めてくれているおかげで、ここ最近重要性がとても高まってきていると感じています。さらにSDGsやRE100などに取り組む企業も増え、社会全体としての意識の高まりも感じます。再生可能エネルギーに商機がある面白い時代に入ったと思っています。」「5年前には家本体にお金をかけたいので太陽光発電の設置を設計士づてに断られたケースもあったのですが、最近では設計士からの設置に関する問い合わせが増えてきています。また、以前付けられなかった方も、屋根の改修工事に合わせて検討したいなどの相談も入ることもあります。これはタイル工事などの建築も一緒に行っている当社の強みだと思うのですが、いろいろなアンテナを利用して販売を広げています。」
今の時代だからこそ再生可能エネルギーを!
「災害時の停電や送電網の老朽化による停電など、どこで何が起こるかわからない時代に入っています。そして、災害時に家が問題なくても避難所生活を余儀なくされるのは、ライフラインの電気が使えないケースです。家庭用太陽光発電システムと蓄電池を整備することで、災害時でもご自宅でそのまま生活できるので、設置者にはそのまま災害対策にもなり、避難所で生活する人の人数も減らすことができるので、地域にも役立つのではと考えています。何より太陽光発電システムと蓄電池の設置で自宅で作った再生可能エネルギー100%の生活ができる可能性があるのです。これは、地球の豊かな自然環境や限られた資源への影響を軽減でき、未来の子どもたちに安心で快適な暮らしを残すことにつながるはずです。こんな世の為人の為になっている仕事ができることに感謝しています。」
(取材:2020年12月9日)